創作物の摂取は合法的にできる唯一のトリップ方法である

声オタが感じたいろいろなものの感想だったり考察だったり。ネタバレは基本考慮しません。全開です。気をつけて下さい。

朗読劇『こゝろ』 感想

今更ですが感想を書きます。2018年10月14日に行われた興福寺中金堂落慶記念特別公演 第38回世界遺産劇場 フェスティバル奈良 朗読劇 こゝろ に行ってきました。
めちゃくちゃ素敵な朗読劇で、この時に感じた気持ちを忘れたくないなって思ったので感想を書きます。

 

こゝろ」は高校生の時に一部分を教科書で読んだくらいだったので、当日を迎える前に予習で読んでおきました。小説を読んでの感想としては、なんか、平成最後の年に読んでおけて本当に良かったなあという思いでしたねまず。
読み手のわたしは平成の終わりにいて、描かれているのは明治の終わり・・・情勢は違えども時代の終わりに際しているという状況がリンクしていてとてもエモかったです。
まあそれはさておき、朗読劇の感想です。

 

脚本がとても上手くて・・・なんて言ったら脚本家の方に失礼かもしれませんが、小説の上・中・下をそれぞれうまくかいつまんで、それでいて雑でなく丁寧に、音だけでも分かるような話運び、台詞づかい。だけれど原作の夏目漱石先生の文体であったり、文章の風味のようなものを損なうことなく作り上げられていて。
てっきりわたしは最後の章だけをやるのだとばかり思っていたので驚きでした。よくあの内容をきれいに一時間半程にまとめたなあと感嘆しました。

 

まず、衣装が先生役の岸尾だいすけさんは上下真っ黒、私役の斉藤壮馬さん、奥さん役の夏川椎菜さん、K役の伊東健人さんは上下真っ白という視覚からの訴えが良いなと思いました。それと同時に、今回の朗読劇では、誰を主役というか、主軸に据えたお話としてやるのだろうか?と考えました。衣装の色は、先生から見た心の色の例えなのかな、それとも「私」が思う、「先生」からは各人の心がこう見ていたのだろうなという表現なのかな?と考え、朗読劇を見終わった後ではきっと後者なのではないかなと思います。

 

とにかく、斉藤壮馬さん演じる「私」の書生時代は楽しそうで!天真爛漫で、先生の閉じた心をこじ開ける明るさが眩しかったです!人たらしというか、裏表なく人懐こい良い青年だなあという印象が強く伝わって来ました。天真爛漫なのに、どこか繊細さも感じられる演技だと思いました。地の文の落ち着いた読み方も役を演じているときの溌剌とした読み方もどちらも素敵でした。

 

夏川椎菜さんは、初めて演技に触れましたがすごく澄んだ声をしていらっしゃって、「お嬢さん」のときは涼やかでとてもかわいらしくて透明感があって、まさに鈴を転がすようなお嬢さんの声だなあって思ったのですが、「お嬢さんの母」「奥さん」を演じているときは妙に艶かしくって、色気のある演技で。
特に、未亡人の「よござんす、差し上げましょう」という台詞はなんというか、艶っぽさと強さや気迫みたいなものが同居している感じの言い方でとても素敵でした。
あと、終盤の「奥さん」の「ねえ、あなた。男の方の心と女の心とはどうしていつまでも一つになれないものなのでしょう?」って台詞は、儚くてたおやかで悲しい、女のある種の恨み、みたいな情緒がものすごく詰まってる言い方だなあって思って、聞いてて思わずぞくぞくしました。

 

わたしは、「K」は「こゝろ」の登場人物の中で一番リアリティがないと思っています。名前が「K」という個人としての識別が全くできない記号的なものだし、個人の信念に反した自分が許せず自殺する、という行動も、現代に生きる身からするとどことなく現実感がなく、理解しがたいものだったので。
そして伊東健人さんは気難しい役が似合う声質をしている、と勝手ながら思っています。だから「K」役はぴったりはまっていて。「K」に声がついた瞬間、リアリティがないなって思っていた「K」がものすごくリアルに、現実感を伴ってあの場に登場したわけです。めちゃくちゃ感動しました。

 

岸尾だいすけさん演じる「先生」は、やっぱりどうしても下の遺書、迸る懺悔と慟哭という感じで、聞いていてすごく心を、がくがくと根元から揺さぶられるような演技でした。正直言うと、あの遺書って、もっと、告解のように、淡々としたものなのかなって小説を読んだときは思っていたので、あんなに感情的だとは思っていなくて。
畳み掛けるように紡がれる言葉の数々が重みを持ってわたしの心を貫いて来たような。そんな感じでした。でも時折、激しい感情の中に混じる冷静さというか、すっという感じがなんとなく自ら死に向かうものの狂気みたいなものを感じさせて、すごく説得力を感じました。

 

小説では、先生の遺書の終わりと一緒にそこで話が終わってしまうので、「私」はあの遺書を読んでどう思ったのか、結局どうしたのかが描かれていなくて、もやもやしていたんですけど、今回の朗読ではそこで物語が終わらなくて続きがあって。
物語冒頭の「私」が「先生」と初めて出会って言葉を交わす海水浴のシーンがもう一度演じられました。それがわたし、めちゃくちゃ良いと思いました。蛇足と感じる人もいるのかもしれない。けど、わたしはとても好きな演出でした!

「君はまだだいぶ長くここにいるつもりですか?」という「先生」の問いかけに、「さあ、どうだか分かりません。先生は?」と答える「私」。だけど「先生」は答えない。繰り返し「先生」に問いかけるけど答えはない。その時の「先生は?ーーー先生は!?!?」と表記したくなるような斉藤さんの叫び演技が切なくて切なくて、心にとっても響いて響いて、もう本当に最高でした・・・!
父を永遠に失うかもしれない間際に知らされた、敬愛する「先生」との突然の、予期も覚悟もせぬ別れに、「私」は一体、どれだけの衝撃と悲しみを受けたことだろう、と思わずにはいられなかった。迷子の子供が親を求めて泣くような・・・なんて言ったら良いのか分からないけど、とにかく心にぐっと来ました。
このシーン反復があったからこそ、今回の朗読劇「こゝろ」では、あくまでも「私」を主人公に据えた話として展開していたのかなあと思いました。

 

そして、何が切ないって。わたし、小説「こゝろ」を読んだときに受けた印象としては、全編を通してあまり色がないなって思ったんですよね。セピアとか灰色とか。たぶんそれは、死について語る物語だから。

だけど、この冒頭の「私」と「先生」の出会いのシーンだけにはとても鮮やかな色を感じたんです。きっと、あのシーンはこの話の中で一番生命力に満ち溢れた描写でもって描かれていると思うんです。だからこそ、死についての回顧が続いた遺書が終わったあとに持ってきたときに、ものすごく「生と死」が対比されて、もう届かない「在りし日」ということが強調されて、際立って美しく切なく見えたんだと思います。

 

小説を読んだときは別に泣かなかったのですが、朗読では見事に泣かされました。それはわたしが声のお芝居が好きだから、ということは大いにあるんだろうけれども、朗読で声がついて、声優さんが感情を乗せてくれて、音や光の演出が入って、それできっとわたしは「こゝろ」の登場人物をやっと、「フィクションに生きる人間」として認識できたんだと思う。
「フィクションに生きる人間」としての肉付きが鮮やかで鮮烈で、今までモノクロでぺらぺらでぼんやりしていたものが、カラーで輪郭がはっきりして厚みまでついたくらいには差がありました。だから思わず強く感情移入してしまいました。
小説の方であまり人物がリアルに感じられなかったのは、たぶんみんなに名前がないからなのかなあ。
「私」「先生」「お嬢さん」「奥さん」「K」・・・・・・誰でもなくて、誰でも、それぞれの立場になり得る、という意図も含まれているのでしょうか?それはさておき、感情移入してしまうともう特に後半岸尾さんが演じているのと聞いていて一緒につらくて苦しくて!「先生」の懺悔を聞きながら、一緒にああ重たいつらい、って思いましたし、伊東さんの「K」の「苦しい」ってポツリともらすような台詞にわたしも心を抉られたみたいに痛くて苦しかったです。でも、感情移入できると味わい深くて楽しいです。観劇の醍醐味はここにあるなあってわたしは思います。

 

秋の奈良をナメて薄着で行ったら野外なので当然風吹くしめちゃくちゃ寒かったんですけど、でも、なんかこの寒ささえも演出の一部な気すらしていました。笑
秋の夜というなんとなく物悲しい寒さと冷たい風が寂しくて、「先生」や「K」の心の内にあるそれとリンクしているような気がしながら朗読を聞いていました。

 

キャストの方々の演技が最高だったのはもちろん、脚本があまりにも良すぎて!好み過ぎて!良い作品に出会えて本当に感謝しかないです。良い創作物を摂取できて幸せでした。
最高に素敵な時間を過ごせました。ありがとうございました。