創作物の摂取は合法的にできる唯一のトリップ方法である

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週末の終末と自然とペンギン(斉藤壮馬さん『quantum stranger』感想と考察)

今更ながらに、斉藤壮馬さんの1stアルバム『quantum stranger』についての感想と考察など書いてみます。とりとめなく思ったことや感じたことを書きました。

『quantum stranger』が発売してから2週間あまりが経ちますが、ここ最近ほとんど他の曲は聞かずにこのアルバムをずっとヘビロテしています。飽きないですね。

光・風・水を感じる曲が多いので、聞いているとなんだか自然に包まれているような感覚になります。あと、ゆるく退廃的というか世界の終わり・終末感が漂っているのも心地よいです。なぜならわたしもまた永遠の病、中二病を患っているから。笑

 

12曲+隠しトラック1曲という構成で、ラジオ等で曲順にもこだわったという旨の発言をされていることから思ったんだけど、トラックの番号がそのまま各曲のストーリーが何月かって季節を表しているんじゃないかなって。

もちろん、全部の曲に明確な季節の設定を感じられるわけではないけれど、アルバム全体を通してみるとなんとなくそんな感じがする。

 

2曲目の「デラシネ」は『春にはまだすこし早いが』という歌詞と曲のあたたかな空気感、MVの雰囲気から2月下旬~3月上旬くらいの情景が聞いてて浮かんでくる。

5曲目の「るつぼ」は気怠い、重たい、まとわりつくような引きずるような雰囲気が五月病じゃないけれど(笑)5月特有に感じる倦怠感にすこし似ている気がする。

6曲目「ヒカリ断つ雨」7曲目「レミニセンス」では雨がテーマになっている曲が2曲続くのでこのあたりは梅雨の雰囲気だなあって。

12曲目「結晶世界」は歌詞の『冬の朝って綺麗ね』に引っ張られてるだけかもしれないけど冬の曲だと思うんだよなあ。MVはそんな感じではなかったですけど!聞いていて見えてくる情景が雪なんですね。この曲。Aメロの途中まで細かくリズムを刻んでいるギターがしんしんと降る雪のようで、静かで冷たくて優しくて・・・。

そして隠しトラックである13曲目「ペンギン・サナトリウム」の最後にテープの巻き戻る音が入って、また1曲目に戻る・・・というのも季節が巡る感があると思うのです。

 

季節の移り変わりだけでなく、朝が来たり夜が来たり夜中だったりする曲の流れは、アルバム全体を通して聞いたときに、時間が進んでいる・・・と感じますね。

だからこのアルバムの時間の流れはただのループではなく、積み重なっていくタイプのループで、それって人の人生そのものなのでは?なんて少し飛躍して考えてしまう。人生とは繰り返しとルーティンを積み重ねる旅であるとわたしは思うので。つまりquantum strangerとは人生・・・?

 

「結晶世界」と、フィッシュストーリーの対の曲であるという「ペンギン・サナトリウム」の考察も書きます。
歌詞の病室、タイトルのサナトリウムから「ペンギン・サナトリウム」はフィッシュストーリーに出てくる「君」のストーリーかなって考えていたのでご本人のツイートで対の曲と言われてやっぱりーー!ってなった。

 
「結晶世界」はこの「ペンギン・サナトリウムのぼく」(以下、ぼくとする)と「フィッシュストーリーの僕」(以下、僕とする)が二人で最初で最後の旅に出かけたときの話なのかな~みたいな考察が捗ります。
サナトリウムというのは元々結核治療用の施設だから、外の世界と隔絶されている「ぼく」は何らか理由があってサナトリウムの外の世界では生きることができない。出ると死んでしまう。けれど「僕」の話を聞く内にどうしても外へ出て自分の目で世界を見たいと思ってしまった?だから外に出たら死んでしまうことを承知で二人で旅に出る。みたいなストーリーとも取れそう?


『きみはけして戻らない軌道にゆるやかに落ちて』=サナトリウムの外では生きられないけど、もう戻らない。外の世界へ行く。

『いつかはあの星の土をこの足で踏みしめようって夢物語はついにもうくだらない現実と化して』=火星も九十九里浜(※MVロケ地/特別でない場所の意)も行ったことがない人間からしたらどちらも同じようなもの。今まで外に出られなかった「ぼく」にとって九十九里浜に行くことは、普通の人が火星に行くかの如き夢物語だったけど、「僕」にとってはそうではないから「くだらない」現実。あるいは九十九里浜を火星だと「僕」が嘘をついた?

『ぼくらいま まざりあっている』

=今まで話で聞くだけだった外の世界での経験を初めて共有できたということ?

 

ああ~~~でも歌詞カード眺めてると視点が混ざってる?

1番AメロBメロは「僕」の視点で2番AメロBメロは「ぼく」の視点な気もしてきた・・・。いやむしろ、サビが2つあるということはサビ1とサビ2でも視点が違う・・・?

 

そして「ペンギン・サナトリウム」は、先述の二人で旅に出かけたときの「ぼく」の気持ちなのではないかと思う。あと、冒頭で言った、トラック番号が曲の月を表しているというなら、これは13曲目だけど隠しトラックだからある意味番号がついていていないようなものだと思うので、そういうことからもこのアルバムにおいて特別な意味がある曲だと思うんですよね。
『氷の町眠ってるみたい』=夜に病室を抜け出したから町全体が静か
『なんだか今日はからだが軽いね どこまでだって行けそうな気がしてる』=初めてサナトリウムの外へ行くのでわくわくして軽やかな気分
『ペンギンの気持ちで』というのは、ペンギンは種族的には鳥で、他の鳥の仲間は飛べるはずだけどペンギンは飛べない=「ぼく」も普通の人間が当たり前にできること(サナトリウムの外で生きること)ができないという解釈ができるかなと。
あと思ったのは、この曲を「僕」が聞いているときには、「ぼく」はもうすでにこの世にいないのではないかなあ。
宅録風なのも後から「僕」が「ぼく」を偲んで聞いているという解釈ができるなあって。

 

だから、いつでも一人だったぼくらが最後にはいつでも二人になっているのは、一人の「個」としての「ぼく」がなくなったことで、「ぼく」という存在はフィッシュストーリーの「僕」のこころだったり記憶だったり、そういう形ないものになって永遠に寄り添うよということなのかな。それこそ、量子的な存在になって。

 

ちなみに最初「ペンギン・サナトリウム」を聞いて浮かんだイメージは「雨の火葬場」でした。物騒!しとしと降ってるのは雨だけじゃなくて人の涙なのかな~とか思ったり。車の音も霊柩車が病院に迎えに来たのかな~~イメージがなぜかありました。笑

 

自分にもっと音楽的にも文学的にも素地があったのならよりこのアルバムの意味を受け取りきれる気がするので、(現状の知識不足を痛感する)その点が本当にもったいないなあと悔しいんですけど、それでもこうやって自分なりにたくさん意味を考えたり噛み締めたり、逆に何も考えずに聞いていても歌詞と音のハマリとか気持ちよくって!とにかくどんな風に聞いてもすごく楽しいアルバムなのでまだまだ飽きそうにないです。ライブにも是非行きたい・・・!(チケットが取れるかめっちゃ不安です。)